開正藤(ひらきせいとう・本名藤太郎)・開生珉(ひらきせいみん・本名賢次)父子は、淡路島のだんじり(太鼓台、曳きだんじり)や社寺彫刻、関西一円の地車や太鼓台等、数多くの名作を残し、淡路島の生穂の地に淡路彫アリと言わせしめた彫刻界の巨匠である。その後、開父子を追うように生穂(いくほ)からは黒田正勝一門の木下舜次郎、賢治父子や松田正幸、正彦父子などの名工を多数輩出することになる。黒田正勝一門は松本義廣一門と並び称される播州彫刻界の名門であり、開正藤は二代目黒田正勝に師事し、木下舜次郎および松田正幸は二代目の跡目息子である三代目黒田正勝に師事し、三代目亡き後はこれら淡路出身の彫刻師が黒田の技術を継承し