このコラムでは「彫物ひねもす博覧会」の主題である「淡路のダンジリ(太鼓台)」と「岸和田のダンジリ(地車)」への理解を深めるために、それぞれのルーツを紹介するとともに、太鼓台と地車という全く異なる形態の練物が、なぜ双方ともダンジリと呼ばれるのか、という謎についても、これまでの研究成果を援用しながら解き明かして参りたいと思います。
太鼓台のルーツの紐解くヒントは、太鼓台の核となる太鼓にあります。
地車のルーツを紐解くヒントは、その彫刻の一部にも刻まれています。
だんじりの語源は、太鼓台に乗り込む子供たち、地車の本来の役割の一つである移動式芸能舞台にありました。
時に寄り道もしながら「ひね博」が100倍楽しめるコラムを目指します。
平田さんと河合さんのコラムと合わせてお楽しみください!


資料探してみます。
明治にはいってからだんじり請負業を営んだ大歳屋が先駆者だったと思いますが、もとは造り酒屋でした。
ダンジリの語源からのアプローチ、楽しみにしております。
淡路島は明治中頃ぐらいまで曳きだんじりが主流だったと思うのですが、明治に入ってから布団太鼓のブームがきて、各地区が布団太鼓に乗りかえるか思案していたときに、だんじり屋が淡路でなじみのある「だんじり」の言葉をセールスに利用したことがきっかけで、布団「だんじり」と呼ばれるようになったのではと、勝手に想像してみましたがいかがでしょうか。だんじりの語源からアプローチするとまた違った答えが見つかるのでしょうね。