top of page

フォーラム記事

だんじり彫刻研究会
2019年6月06日
In 博覧会当日のご報告
ご来場いただいた大勢の皆様、本当にありがとうございました。当日は1000人を越える皆さまにお越しいただきました。貴重な彫物を快くお貸しくださった方々、ご協賛ご協力いただきました皆様に重ねて御礼申し上げます。 当初は、一彫師という立場であまり大きなことをすることには抵抗がありましたが、森田さん、平田さんという強力な仲間の助力を得て、素晴らしい展覧会の開催に漕ぎ着けたことを嬉しく思います。 彫刻作品については、平田さんの粘り強い調査と交渉のお陰で、大変レベルの高い彫物が集まりました。これだけのものが一堂に会することは後にも先にもないと思います。 「良い物を見ていただきたい」その一心で突き進んできたことが今回の成功に結び付いたのだと思います。 「よくこれだけの物を集めたな!」という言葉を沢山頂きました。 そして、岸和田界隈で活躍するほとんどの彫師さん達が会場に足を運んでくださいました。これは、今回の展示会のレベルの高さを象徴する出来事でした。 朝、昼、夕方の三回にわたって行なわれた講演。企画した時は、人が集まるのか、聞いてくれるのかと不安いっぱいでしたが、蓋を開けてみれば、三講演とも満員御礼で立ち見が出ました。 皆様の熱心に聞き入るお顔が印象に残っております。 私が残していきたい、また、弟子達に継承して欲しいと願う「淡路彫」の素晴らしさを、皆様にも感じていただけたかと思います。 当日の内容は『図説  だんじり彫刻の魅力』に凝縮しております。こちらをご覧いただき、彫物談義に花を咲かせてもらえれば嬉しく存じます。 ありがとうございました。 賢申堂 河合賢申 「彫物ひねもす博覧会」大盛況のうちに幕を閉じました。ご来場の皆様、ご協力、後協賛いただいた皆様、本当にありがとうございました。 全体の監修は河合さん、写真は平田さんが担当で、展覧会当日の内容については、お二人に任せることにして、私の役割は、彫刻が施される主体である「祭」そのもの、そして「地車」と「太鼓台」の歴史文化について語ることでした。そして「ひね博」を一過性のイベントに終わらせないため、主催者自身も含めて、後から何度も復習ができるように『図説だんじり彫刻の魅力』を完成させること。 書籍は、非常に完成度の高いものになったと自負しております。特に、彫刻に関わる部分の文章を、私一人の執筆ではなく、彫刻のことを一番熟知している河合さん、多くの彫刻を見聞している平田さんの意見を存分に採り入れ、さらに何人もの眼で厳しく推敲を重ねました。とりわけ、当事者である彫師さんの声を反映できたことは、大きな強みであると思います。解説は彫物の場面の難解な歴史解説ではなく、見所はどこか、そのような工夫がなされているかなど「鑑賞の手引き」を強く意識しました。 当日の展示は、ひたすら河合さん、平田さんのサポートに徹しました。当日の空間デザイン、河合さんの新作「国生み」の彫刻動画はミヤシタデザイン事務所(三重県)にお願いしました。彼らの助力で、展示会の雰囲気は数段アップしたと思います。講演では、太鼓台と地車のルーツ、ダンジリの語源についての最新の研究成果を多くの皆様に直接お伝えすることができました。 1000人以上のご来場をいただいた「ひね博」。素晴らしい空間で彫物に囲まれ、皆さんと時間を共有できた一日。私の中でも大きな財産となりました。ご来場いただいた皆様にとっても、何か感じるものがあれば、嬉しく存じます。 『図説だんじり彫刻の歴史』皆さま是非! → https://kishiwada1.wixsite.com/kishiwada-awaji/forum/tu-shuo-danziridiao-ke-nomei-li 篠笛奏者 森田玲 「彫物ひねもす博覧会」無事に閉会いたしました。一日限りの展覧会にもかかわらず、全国各地から予想を超える1000人以上の方々にお越しいただきました。ご来場の皆さま、ご協力者の皆さま、ご協賛者の皆さま、本当にありがとうございました。 遡ること平成28年4月17日の春、久しぶりに訪れた地元生穂の賀茂神社例大祭で偶然に出会った、だんじり彫刻の世界。その後は、無我夢中になって生穂出身の彫刻師の作品を追い掛けている中、古き良き淡路彫を継承し、淡路彫をこよなく愛する彫刻師の河合さんと出会いました。 河合さんとはいつか淡路彫の展示会や作品集を出したいという話はしておりましたが、まさか40点以上の展示作品、3回に及ぶ講演、書籍「だんじり彫刻の魅力」の発刊までする結果に至るとは想像もしていませんでした。今回の企画は、彫刻の現場を熟知する河合さん、そして篠笛奏者であり祭研究者でもある森田さんの強力なエンジンがなければ始動すらしなかったでしょう。さらには、主催者3人を、それぞれの立場から支えてくださった関係者の皆さまには大変感謝しております。 本展覧会のテーマは岸和田彫刻の源流である「淡路彫」の魅力を彫物展示や写真展示、講演会を通して再考することでした。展示会場の各所に、淡路が生んだ名陶・珉平焼の花器に淡路産の草木を活けました。淡路島の風土を感じていただけましたでしょうか。本展覧会を契機に岸和田と淡路の交流が盛んになることを切に願っております。 写真家 平田雅路
ご報告とお礼 content media
1
0
127
だんじり彫刻研究会
2019年6月03日
In 図説 だんじり彫刻の魅力
★まだ在庫はございますが、お求めの方はお早めにお申し込みください。 『図説だんじり彫刻の魅力』 1冊3240円(本体価格+税) (1)直接販売   「だんじり彫刻研究会」事務局(賢申堂内)までお越しください。   〒596-0074 大阪府岸和田市本町7-19(紀州街道沿い)   電話 072-438-1068   <地図> → https://goo.gl/maps/ASLfnLwUK6XzEPcB8 (2)通信販売   下記の口座に「書籍代」と「送料・荷造り料」をお振り込みの上、   kenshindou915@gmail.com に 「お名前」「郵便番号」「ご住所」「お電話番号」をお送りください。   ※ 週一回の発送となりますので、到着まで時間がかかることがございます。   ・「書籍代」 1冊3240円(本体価格+税)×冊数   ・「送料・荷造り料」     (ア)1冊~2冊 500円      (イ)3冊以上 1000円 -------------------------------------------------------- 振込口座 ゆうちょ銀行   記号 14080  番号 81252121  口座名 だんじり彫刻研究会 <ゆうちょ銀行以外からのお振込の場合> 店名 四○八(ヨンゼロハチ) 店番 408 普通預金 8125212 --------------------------------------------------------
0
0
107
だんじり彫刻研究会
2019年5月18日
In 図説 だんじり彫刻の魅力
『図説 だんじり彫刻の魅力-岸和田と淡路で育まれた心と技-』  だんじり彫刻研究会 編集・発行 全カラー126頁  定価(本体3,000円+税)  ISBN 978-4-600-00116-2 C0071 ★見本ページ →  http://www.taminouta.com/img/PDF/danjiri-sample.pdf <書籍概要> 全国的に有名な岸和田祭の地車(だんじり)<大阪府岸和田市>。城下町を勇壮に駆け抜ける姿だけではなく地車本体に施された彫刻も大きな魅力です。地車には、日本神話、源平合戦、太平記、太閤記などの歴史物語に取材した精細で躍動感溢れる彫物が施されており、その彫刻技術は日本屈指と言われています。現在も岸和田を中心に泉州域で多くの彫刻師が活躍していますが、その系譜を遡っていくと、淡路島に辿り着くことは余り知られていません。岸和田の地車の彫物は、現在でも淡路島の祭で多く見られる太鼓台の彫刻の技術が下地になっているのです。 本書では、100点以上の写真と図表を用いて、岸和田と淡路で育まれた「だんじり彫刻の魅力」を紹介しています。岸和田の地車(だんじり)と淡路の太鼓台(だんじり)の彫刻作品を中心に、幕末・明治・大正・昭和・平成に活躍した彫刻師ごとに、祭関係者の中で傑作と呼ばれる作品も多数掲載しました。さらに、写真と情報の羅列に留まらないように、「だんじり彫刻」が育まれた、淡路島の風土、太鼓台と地車の歴史文化とルーツ、彫刻鑑賞の手引きを掲載し、読者の助けとしました。編集は、だんじり彫刻研究会が担当し、岸和田祭で育った彫刻師・河合申仁が彫刻師としての立場から全体を監修、篠笛奏者であり祭研究で有名な森田玲が地車と太鼓台の歴史文化を執筆、そして、淡路在住の写真家・平田雅路による美しい写真で、だんじり彫刻の魅力を余すところなく紹介しています。 本書は、岸和田の彫刻文化を、その源流まで遡って紹介した初めての本です。豊富な写真と図版とともに「だんじり彫刻の魅力」を存分にお楽しみ下さい。 ■だんじり彫刻研究会■ 岸和田を拠点に、だんじり(地車・太鼓台)に施される彫刻の調査研究を行ない、その歴史的意義と作品の魅力を広く伝えることを目的に活動。 河合賢申(彫刻師)<代表> 森田 玲(篠笛奏者) 平田雅路(写真家)
図説 だんじり彫刻の魅力 6月1日発売! content media
0
1
427
だんじり彫刻研究会
2019年2月22日
In 投稿・コメントのガイドライン
★iPad、iPhoneからログインできない場合は、ios を最新にしていただくと改善する事例をご報告いただいております。 <登録・ログイン> (1)投稿・コメントにはログインが必要です。 (2)ログインにはメールアドレスの登録が必要です。 (3)登録後プロフィールを編集することができます。 <投稿可能なページ> 「だんじり彫刻掲示板」のページに投稿いただけます。 淡路彫、淡路彫系の岸和田彫に関する話題をご提供ください。 <コメント可能なページ> 「コラム①」「コラム②」「コラム③」「だんじり彫刻掲示板」のページの記事にコメントいただけます。 <投稿・コメントに関する注意点> だんじり彫刻に初めて興味を持たれる方にも分かりやすいような表記を心がけていただければ幸いです。 内容によっては、記事の編集、削除をお願いすることがございます。
1
0
28
だんじり彫刻研究会
2019年2月21日
In 当日のスケジュール
岸和田彫の魅力を淡路島に訪ねる時空を越えた展覧会。開正藤・生珉父子の作品を中心に、木下舜次郎、松田正幸、木下賢治らの彫刻約30点と、彼らが生まれ育った淡路の風景を紹介。地車と太鼓台を結ぶダンジリの語源に迫る講演会と彫物座談会。河合申仁初の芸術作品・国生み-日本濫觴を披露! 2019年6月1日(土) 9時から20時半頃 入場無料 <彫刻展示> 開正藤 開生珉 木下舜次郎 松田正幸 木下賢治 ほか (狭間 置物) <完成披露> 河合申仁「国生み-日本濫觴」 <写真展示> 平田雅路「淡路の風景と淡路彫」 <実演> だんじり彫刻実演(賢申堂) だんじり用篠笛「岸極-きしのきわみ-」の製作実演(民の謡・篠笛文化研究社) <講演>各60分 ・11時 だんじり(太鼓台・地車)のルーツと語源に迫る(森田玲) ・14時 彫師が語る、だんじり彫刻の楽しみ方(河合申仁) ・16時 だんじり座談会(平田雅路・河合申仁・森田玲)
当日のスケジュール content media
4
0
290
だんじり彫刻研究会
2019年2月21日
In 開正藤・開生珉 父子の紹介
開正藤(ひらきせいとう・本名藤太郎)・開生珉(ひらきせいみん・本名賢次)父子は、淡路島のだんじり(太鼓台、曳きだんじり)や社寺彫刻、関西一円の地車や太鼓台等、数多くの名作を残し、淡路島の生穂の地に淡路彫アリと言わせしめた彫刻界の巨匠である。その後、開父子を追うように生穂(いくほ)からは黒田正勝一門の木下舜次郎、賢治父子や松田正幸、正彦父子などの名工を多数輩出することになる。黒田正勝一門は松本義廣一門と並び称される播州彫刻界の名門であり、開正藤は二代目黒田正勝に師事し、木下舜次郎および松田正幸は二代目の跡目息子である三代目黒田正勝に師事し、三代目亡き後はこれら淡路出身の彫刻師が黒田の技術を継承していく。現在、岸和田周辺で地車彫刻に携わるほとんどの彫刻師は木下舜次郎の流れを汲んでいる。 (『上町地車誌』より) 稲がよく実るこの生穂(なまりほ)の地は、摩耶山を頂に津名丘陵を流れる生穂川が形成した小平野であり、その先には大阪湾が広がり、神戸から大坂、大坂から泉州を一望できる位置にある。古くから京都上賀茂神社の荘園として、競馬会(くらべうまえ)神事に生穂産の駿馬「淡路」が献上されていた。生穂(いくほ)と呼ばれるようになったのは昭和3年(1928)に生穂町が成立してからである。淡路島は日本を代表する伝統芸能の一つ、人形浄瑠璃が盛んな地域。最盛期には四十座以上が競い合い、島内のみならず日本全国を巡行しながら各地に人形芝居を伝えた。文楽の創始者である上村文楽軒も淡路出身である。人形浄瑠璃は島民最大の芸術性豊かな娯楽であり、生穂の町も例外ではなかった。大阪文楽座を勤めた谷駒太郎(芸名駒太夫)や、素人義太夫で淡路人形芝居の保存と振興に支援した実業家の奥田利生などは生穂出身である。その他、小さな町ながら著名な芸術家では陶芸家の井高帰山や俳人の岩木躑躅などを生み出した。   明治5年6月8日、開藤太郎は生穂浜にて産声をあげた。幼くして父・友次郎を亡くした藤太郎は、だんじり請負業を営む大歳屋(おおとしや)の求めに応じ生穂に仕事場を構えていた彫刻師・二代目黒田正勝(本名嘉七郎)に弟子入りする。正勝には画才があり独創的な構図を作り出すのを得意としていた。正勝は跡目息子の三代目黒田正勝(本名嘉七郎)と同様に藤太郎の面倒をみて可愛がり、仕事では厳しく指導し愛情を注ぎ込んだ。明治26年師匠亡き後は、正勝の一字を譲り受けて開正藤と名乗り、黒田の技術を継承しつつ師匠譲りの独自の技法を編み出していく。明治29年12月21日、妻さき(旧姓奥野)との間に長男賢次(のちの生珉)が誕生した。正藤は物心つく頃には職人の道へと飛び込んだため読み書きはできず、代わりに賢次には厳しく勉学を進めた。のちに賢次は正藤の墨書きや書簡等の代筆を務めることになる。修業後、父・正藤の元に入門する。仕事場では父子向かい合い仕事をこなし、雅号は生珉とし正藤の技術を忠実に受け継ぎつつ芸術性も求めていく。 開父子の彫刻技法や作風は淡路島の布団だんじりの見所の一つ、狭間(さま)と呼ばれる彫刻部位の小さな世界で確立されたものである。布団台を支える枡組の間に納められる狭間は、通常は二枚、あるいは三枚の彫刻が施されて薄い板を重ねて立体感を出す。開父子は、この基本的な技法を踏襲しつつ、新たな工夫を加えた。例えば、奥行きを出すため土部に勾配をつけて彫る。主役の人物は存在感を際立たせるために恰幅のよい体型、顔は大きく雅やかに人形浄瑠璃の頭(かしら)のように品格を保ちながら豊かな表情を持たせる。人物等は前に傾けて手前が大きく奥は小さく彫り分ける。作品の縁取りである両側の樹木は盆栽のように中央に向かって丸く仕立て、松葉等はつけ木で前後に配置することで木々が生い茂る様を出す。単純に直線で鑿を刻まず木口は深く刻み込み、作品の隅々に柔らかな陰影をつける。開父子の作品から醸し出される独特の空気感は、研ぎ澄まされた技術に裏打ちされた普段の工夫の賜物であり、過去及び現在の名工が口をそろえて開父子の作品を認める所以でもある。 大正に入ると開父子は岸和田へ進出する。岸和田の地車と淡路の布団だんじりの大きな違いは、彫刻部位の大きさと比率。地車の部材の方が、大きく横長となる。淡路の狭間から岸和田の土呂幕(どろまく)へと物語の舞台は移ることになる。小さな世界で磨かれた淡路彫の技術は、その彫刻部位が大きくなっても如何なく発揮され、彫刻も立体感や躍動感を飛躍的に上げることとなり、地車彫刻の世界に新たな旋風を巻き起こした。開父子の最初の地車作品は大正6年新調の下野町先代地車で、当初は寺田宇ノ松が手掛けていたものの製作途中で逝去したため、開父子に白羽の矢が立った。その後も父子二人三脚で数多くの地車を手掛けていく。昭和4年、岸和田市の上町(岸城神社氏子)地車の新調時には「玉葱とチーゼルとで地車ができた話 全国でも有名な彫刻師が腕をふるった岸和田祭りの花」と題した記事が大阪朝日新聞で紹介された。 開正藤・生珉ともに無口で職人気質であったという。片や紋付羽織袴の正装で、片や背広にネクタイのモダンボーイ。生珉に木彫りの指導を受けた西岡氏曰く、「先生と会話をした記憶がない。彫物を持っていくと無言でささっと手直ししてくれる。直しがない時はよしということ。いつも鑿を研いでいた記憶がある。奥さんとはよく話した。今、先生が何を考えてるかなど。先生に教えてもらったおかげで今までに一度も鑿で手を切ったことがない。」、開父子宅の近所に住むN氏曰く、「開のおっちゃん(正藤・生珉)とこ行ったらお菓子いっぱいくれるから近所の子供たちが集まっていた。」「裁縫しとって親指の爪の間に裁縫針突き刺したとき、開のおっちゃん(生珉)とこ行ったら抜いてくれるわって近所の人に聞いてお願いしたら、ちょっと痛いかもしれんけどあっち向いとけやと言われて、彫刻刀で痛みなく抜いてくれた。」など。仕事に対する姿勢は父子とも厳格である一方、近所付き合いがよく、人の面倒を見るのが好きな人情味のある人物といえる。 昭和18年1月17日に正藤が他界。生珉は家業を引き継ぐことになるが、戦時の緊縮ムードが漂う中で受注も減り、先の仕事を見据えてか彫師として仕事を続けつつも、昭和17年には生穂町の町村会議員に立候補し見事当選。昭和26年まで二期に渡り就任する。戦争のあおりはそれだけではなかった。一人息子の佳積(かつみ)を第二次世界大戦で失う。淡路市下河合檀尻や洲本市漁師町曳檀尻などの戦後の作品では、生珉ではなく公輝(こうき)の雅号を用いることもあり、今までにはない芸術性を加味した作風も見受けられる。また、戦後は地元の展覧会等にも積極的に出展する。昭和43年1月5日に生珉他界。開父子直伝の技法がここに途絶えた。しかしながら、冒頭で紹介したように開親子の作風を受け継ぐ彫師の数は少なくなく、その名前を意識せずとも、現在の岸和田型の地車彫刻には、淡路系岸和田彫とでも言おうか、その名残を随所に見ることができる。 (平田雅路)
開正藤・開生珉 父子の紹介 content media
5
6
1k
だんじり彫刻研究会
2019年2月21日
In 御祝いの言葉
彫師の木下賢治です。 この度、地元岸和田の浪切ホールで、弟子の河合申仁君らが、我々の彫刻の源流である淡路彫の魅力を紹介する展覧会を企画しているとのことで、一言ご挨拶させていただきます。 現在、岸和田その近隣で地車彫刻で活躍している彫師さんは、皆さん淡路彫の名匠・名人といわれた先人の技の流れを受け継いでいます。 淡路島の生穂という片田舎から播州姫路の名匠に師事し高度な技術を彫物に刻んだ、その名匠は開藤太郎名人であります。そして、岸和田で開名人と供に淡路彫りで活躍した彫刻師たちは、松田正幸名人と、私の父、木下舜次郎であります。 淡路彫の魅力とは何か。優美な流れその中にも力強い迫力のある彫り方、これが、私の思う淡路彫りです。皆さまは、どのように感じられますでしょうか。 優美で迫力のある淡路彫の素晴らしい技術を受け継ぎ、その流れを汲む彫師が今も頑張って地車に彫物を刻んでおります。 当日は、その彫刻の魅力を実感していただき、先人の名匠に想いを馳せ、時間の許す限り鑑賞していただければと思います。 ご盛会を祈っております。 木下彫刻工芸 彫師 木下賢治
5
0
277

だんじり彫刻研究会

管理者
その他
bottom of page